History

1966年の創業から現在まで。
長古堂が時代の常識に逆らい続けた
60年間の記録。

  1. Edo Period

    江戸時代後期

    「剣菱」の醸造元から受け継いだ「長古堂」の意匠。

    繊細で装飾的なモチーフを両脇に、縦に「長古堂」と記した歴史を感じさせるデザイン。私たちがこのロゴを掲げるようになった理由をお話するには、まず「長古堂」という名称が生まれた背景を探る必要があります。

    歴史を遡ると江戸時代後期。幕末の尊皇攘夷運動に大きな影響を与えたベストセラー「日本外史」を執筆した漢詩人・頼山陽(らいさんよう)は、「剣菱」というお酒を愛してやまなかったと言われています。

    当時彼が、剣菱の醸造元であった坂上桐蔭(さかのうえのとういん)の為に書かれたとされる書物「長古堂記」。「長古堂」という名称に関する記録はほとんど残っていませんが、頼山陽が名付けた剣菱の醸造元名であるという説が有力です。

  2. 1966~

    創業期

    時代は高度経済成長へ。

    時は流れ、室町時代からつないできた剣菱のバトンを昭和三年に受け継いだ白樫政雄。彼は今に続く銘酒の礎を築いてきましたが、昭和四一年に自身が所有する土地の有効活用を目的とした不動産会社を設立します。それが、頼山陽が名付けた「長古堂」という名を採用した現在の株式会社長古堂です。

    東京の高層ビル群と東京タワー

    バブルの渦に、
    飲まれない。

    バブル経済の全盛期。企業も個人も「横並び」で不動産を買い漁った時代。このとき、長古堂はバブル横並びに飲み込まれない慎重さをもち、地道に現在の不動産を守り抜いてきました。

  3. 1990~

    ゼロからの再スタート

    逆張りの目が覚めた10年

    バブル崩壊。不動産価格が暴落し、新規投資はタブー視された。日本全体が諦めきっていた時代。先代社長の金木政治が28歳頃、親族間の裁判などトラブル続きの家業に戻り、ゼロから再スタート。「今買ったら伸びる」と判断。落ち込んでいたカリフォルニア州の不動産を購入し海外進出をしました。現地の商習慣の違いを乗り越えて投資を実行、時代的な読みと人の縁が重なった時期でした。

    カリフォルニア州の街並み
  4. 2000~

    東京と、大阪。

    振り向かない場所の
    芽を見つける

    ITバブル崩壊・リーマンショック。経済危機が重なり、不動産市場は二重の打撃を受けた10年。長古堂は東京都の不動産(日比谷・麹町など)を購入。「土地勘がない場所でジャンプして買う」決断を行いました。

    また、2009年には堂島川に臨む複合商業施設「中之島バンクス」の運営を開始。「川に顔を向ける」コンセプトで、当時はリーマンショックの真っただ中であるなか、事業を継続しました。

    大阪市内のオフィスビル
  5. 2020~

    ノイズと余白を守る。

    都市開発の
    もう一つの選択肢を。

    東日本大震災・アベノミクス・ESG・SDGsの台頭を経て、「管理された綺麗な空間」が都市開発の正解とされているように思います。2025年8月――金木陽介が代表取締役社長に就任。「もう一度面白さを復活させたい」という思いで、2030年の中之島再開発収束に向け、「街の景色の一部」となるビジョンを構想中です。

    堂島川沿いの中之島の景色